

スタート時の尾方選手


ゴール後の尾方選手


尾方笑顔で銅メダル選手
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―お帰りなさい。そして世界選手権を振り返ってください
尾方 順調に練習ができていた。自分の走りさえできれば(メダルが)とれるという手応えはあった。ヘルシンキに入ってからもコースを見て、手応えをつかんでいた。下見したときは、これだったら自分はいけると思った。
−やはり、練習から調子が良かったのが自信になっていたのか
尾方 というより、本当に思い通りの練習ができていた。体調も本当に良かった。
−タフなレースだった。実際に走ってみての感想は
尾方 パリ同様に上り下りでペースアップの調整をする必要があった。ただ、体にキレがあった。28 キロ からスパートされても、全く焦らなかった。自分はついていく必要がなかったし、自分のペースを変える必要もなかった。勝負はもう少し後だと思った。精神的に余裕があったので、うまくいったと思う。
−これでメダルがとれると確信が持てた瞬間は
尾方 40 キロ 過ぎて4位と5秒差あったので、これなら大丈夫と思った。
−ゴールを決めた瞬間は笑顔だった
尾方 ゴールまで2・195 キロ と迫ってから、かなり辛くなった。本当に長い距離に感じた。足に疲れが急にきて、苦しくなった。気を抜いたら、本当に歩いてしまいそうなほど苦しかった。ただ、スタジアムに入り、歓声を聞いてからは元気が戻った。ゴールできて本当に良かった。
−前回のパリ大会は12位と不本意な成績だった。前回の悔しさが今大会にも生きたのか
尾方 やはり前回で要領が分かっていたし、経験がものを言ったかもしれない。平常心で臨むことができた。
−大会前は高岡の方が注目が高かった。正直、悔しさやライバル意識みたいなものはあったのか
尾方 実は結構悔しかった。ただ、自分に実績がまだ足りないという風に思えることもできた。今大会で自分は実績を残していく必要があった。絶対にメダルをとらないといけなかった。
−アテネ五輪では同じ中国電力の油谷が5位になった
尾方 自分もずっとアテネを目指しながらやってきて、出場できなくなった瞬間から目標をヘルシンキの世界選手権に置いてきた。その時から福岡で優勝して世界陸上でメダルをとることを目標にしてきた。それを実現したら、自分もまだまだ通用するということを証明できたと思う。
−家族の存在は
尾方 息子にはメダルを首からかけてやりました(笑)。妻には「お疲れさま」と声をかけてもらった。
−これからの目標は
尾方 一番は五輪に出て、メダルをとるということ。そのことを考えて、大阪での世界陸上に出るかどうかは考えたい、レースの選考基準や自分の体調なども考えて、これからのことは慎重に決めたい。
−最後に広島のファンへ、一言
尾方 目標を達成することができました。応援ありがとうございます。
◆尾方剛(おがた・つよし)1973年(昭和48)5月11日生まれの32歳。広島県安芸郡熊野町出身。熊野中−熊野高−山梨学院大。大学時代は2年の時に箱根駅伝でアンカーを務め優勝に貢献。中国電力入社後に成長し、03年パリ世界選手権に出場し12位。昨年12月の福岡国際でマラソン初優勝。ヘルシンキ世界選手権出場内定選手1号となり、本大会では銅メダルを獲得した。165 センチ 、50 キロ 。家族は夫人と長男。血液型はB。
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